2013年2月13日

レ・ミゼラブル

巷で話題のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を観に行きました。結構前ですけどね。
なかなかブログを書くのが大変になっています。忙しいからではないのですが。
映画の感想やライブレポートばっかりになっているのが懸念事項でして、まあ3月になればいろいろと書けることも増えてくるでしょう。
Twitterよりも自分の言いたいこと言えるからいいんだけどさ。
今回の感想記事も好き放題書きますからね。メディアで取り上げられているようなべた褒めな感想は絶対書きませんから。
こういう天邪鬼な感想記事を書くと、『いばらの王』の劇場版を俺がケチョンケチョンに貶したときのことを思い出しちゃうんだけどね。俺がそう感じただけであって、あんたらがどう感じたかなんて知らないし、人それぞれだと思うので、わざわざ俺に対して突っかかってくるのは見当違い。
俺が大好きなものをあんたが貶していることだってあるだろ。

だったら書かなきゃいいじゃんって? いや、好きだから書いてるんだ。作品が嫌いだから貶しているわけじゃない。
基本的に書きたいことがある場合は感想記事を書きます。たとえ作品が面白くなくても、言いたいことがある場合や1シーンでも心に残るシーンがあったのなら、書きます。
先日観たニコラス・ケイジ主演の『ゲットバック』は、面白くもなんともなかったし書きたいと思えることが1つもなかったため書きませんでした。そういう判断基準です。

さて、今年、というか去年ですね。今回の『レ・ミゼラブル』はリメイク版なわけで、昨今のリメイク映画ブームはいかがなものだろうか。面白いものもあれば、イロモノになっちゃったものもありますね。
このレ・ミゼラブルのリメイクはどちらでもなく、あくまでも正統派。まあ、リメイク前も観てないどころか原作も読んだことがないのですがね。

それでは感想いきましょう。
世間一般の評価ほどの魅力を俺が感じられなかったため(※個人の感想です)、今回は短めです。




※以下、ネタバレを含みます。ご了承ください。


会話はほぼ歌。歌じゃないセリフもありますけど、基本的に歌によって物語が紡がれる。
でも、踊りはない。だから、一般的なミュージカルとは少々様相が異なる。
ティム・バートンが好きな人はもちろん好きだと思う。『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』や『チャーリーとチョコレート工場』の歌のシーンは好きなんですけどねぇ。

妹のためにパンを盗んだジャン・バルジャン。脱獄を繰り返しては捕まって、19年間牢獄で過ごす。
やっと仮釈放されたんだけど、教会に泊めてもらったのに恩を仇で返し、銀の食器とか盗んじゃうんだけど、ジョースター卿みたいに「それは私があげたものです」とかって警察に話して、おまけに銀の燭台もジャン・バルジャンにあげてしまう。
この神父の行為によって、ジャン・バルジャンは善人になろうとするんだけど、でも裁判所に出頭しなくちゃいけないのに逃げてるだけだからね。
善人というよりも、善人であろうとすることによって自分の罪からも逃げてるのかな。

銀を売った金ってやっぱり当時にしてはすごい大金なんだろうなぁ。
市長になったジャン・バルジャン。ここは素直にすごいと思えた。だって見知らぬ奴がいきなり街にふらっと引っ越してきて、市長にまで選ばれてるんだぜ? 犯罪者だった自分の過去をものともせず、善行を心がけ、人々から評価を得ている。
気の持ちようでここまで変われるのは才能なのか、誰にでもできうることなのかわかりませんが、単純にすごいことだと思った。絶望の中でも、どんなに心が貧しくても、ちょっとしたことで人は変われて、暗闇から抜け出せることもある。こんなこと言ってるけど、どのみち経歴詐称ですからね?
でもジャベール警部をも欺いているのはすごい。

工場で働いてるファンティーヌの娘、コゼットを預かるジャン・バルジャン。
また逃げる。結局、逃げるだけの話なのか。
コゼットを預かるときのテナルディエ一家のシーンで、猫のしっぽを包丁で切って鍋に入れるというシーンがあるのですが、すごく嫌な気分になった。
なぜなら、うちで飼っている猫もしっぽ無しだから。まさにテナルディエのように、どっかの小悪党が飼い猫のしっぽの骨を折ってしまったようなのです(猫同士の喧嘩かもしれませんが、人の力という話だった)。手術で切断したのももう5年以上前かなあ。
だからこのシーンを観たとき、「うわ」って思った。もうこれ以上観たくないとも思った。ここまで自分の中で「トラウマ化」してしまっていることにも驚いた。

歌は好きだ。でもえげつない。
それはこの作品のストーリー全体に関しても言えることだと思う。善良な人間を振舞って過去の罪をなかったことにしようとする(自分の経歴を隠す)ジャン・バルジャンの一代記だからだ。
ファンティーヌの最期もそうだし、この作品全体に、見た目はキレイでも、中身は汚れているといったテーマ性が見え隠れしているように思えるんですよね。工場のシーンと娼婦街のシーンがまさにそれにあたる。

時はフランス革命下。躍起になって立ち上がる町の青年たちがいい感じですねぇ。あの歌が一番好きだな。戦いの歌。
コゼットに恋をするマリウス。ジャン・バルジャンが彼を見つけ出しに行くシーンもいいですよね。いてもたってもいられない感じとか、焦りや二律背反の感情がない交ぜになっている感じとか。
二人は結婚しても、ジャン・バルジャンは犯罪者であることに変わりはありません。マリウスに真実を伝えて旅に出ます。
しばらくして披露宴が催されますが、その席でテナルディエの情報により、コゼットとマリウスはジャン・バルジャンの旅先へ出向きます。
というか、なんであいつは知ってるんだろうなという感じ。奇妙な縁なのか、市長の座を捨てたジャン・バルジャンとコゼットが次に住んだ町にいやがったからねぇ。

ファンティーヌとともに、若者の戦いの歌を歌って、物語は幕を閉じる。
まあ一代記というか、冒頭は獄中で船を曳いてるんだけどな。
キリスト教の色合いも強い気がする。罪を犯しても、悔い改めれば赦される。
人はみな原罪を背負っている。それもレ・ミゼラブルのテーマ(見た目はキレイでも、中身は汚れている)の1つであるように感じられます。

個人的に気に入らなかったシーンがもう1つあって、それはジャベール警部の自殺。プライドというものも、一見高貴なもののようでいて、その実おのれを縛り付ける「汚れ」の1つなのかもしれませんね。
仕事をまっとうしようとしたジャベール警部が結果自殺に追い込まれ(基本的にキリスト教では自殺は罪だ)、犯罪者であるジャン・バルジャンのほうが心安らかな死を迎えられている。如何なる皮肉だろうか。
現代においてもそうだが、警察の汚さが目立っている。やってもいない罪を自供するように脅迫したり、被害者を門前払いしたり、知識の乏しい事件には真剣になろうとしない。警察は、汚い組織だ。見た目はクリーンかもしれないがね。
ジャベール警部は法のもとに生きている人間だが、ジャン・バルジャンは良心のもとに生きた。法は救いをもたらさないが、良心は救いをもたらすということだろうか。

道を誤ってしまっても、自分の良心と信念に従えばどんな苦境でもやり直せる。結果や善悪は問わずして、そういう勇気をもらえる作品だとも思った。
あるいは、罪を犯しても償えるはずだとね。汚れているのなら、見た目と同じようにキレイにすれば(なろうとすれば)いいだけだしね。

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